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たからしげるブログ

つれづれ思うことどもを不定期で発信しています。

 アファメーション(affirmation)という言葉をご存じでしょうか。


「肯定」「確信」という意味です。


 人生には迷いがつきものですが、どんな迷いも、どうにかなるさ、なるようになるさと放っておくのは、あまりよくありません。


 なぜなら、迷いとは自分が進んでいる人生の分かれ道であって、右にいくか左にいくかを選択するのはどうあがいても、最終的には自分でしかないからです。


 例えば一緒に歩いている者、あるいは大多数が右にいくと決めたから、自分もそれにならおう、という行動も、選択の一つかもしれません。


 ただし、それは非常に消極的な選択であって、将来に禍根を残す恐れがあります。


 本当は左にいきたい、という思いがちらりとでもあれば、そう思った時点で、たとえひとりになっても左にいくのが正解でしょう。


 直感(心の声)に従う、というやつです。


 直感を与えてくれる存在があるとしたら、それは、自分の無意識の底に潜んでいる、もうひとりの(本当の)自分であり、それを守護霊と呼ぶ人もいるみたいです。


 話をアファメーションに戻すと、これは「自分の無意識に向かって自ら呼びかける人生の指針」とでも言えるでしょうか。


 広大な宇宙の一辺に浮かぶ、生命にあふれた地球という惑星の、しかも人類という貴重な知的高等生命体(なのかどうかは若干の疑問が残りますが)の一員としていま、この世に生きている奇跡を一度、じっくりと噛みしめてみてください。


 その上で、自分が今後、どのように人生を切り拓いていきたいかを考えたとき、アファメーションは強力な味方になります。


 あしたの自分はこうありたい、という願望を自らの潜在意識に「直感」として送り込んで「思念」に変えるのが、アファメーションの働きです。

 

 

 9月22日に全国の書店に並び、アマゾンなどウェブストアでも発売となった拙著『ラスト1行の四字熟語』(PHP研究所・1320円税込)ですが、一喜一憂が続きます。


 どうしてもっとどっしりと、沈着冷静でいられないのでしょうか。


 発売の翌日でしたが、アマゾンの児童書短編集というジャンルでの売れ行きランキングで、たまさか4位という売り上げを目にしてしまい、平常心が保てなくなりました。


 このランキングは、同じジャンルで競い合っている同種の本の注文数(売れ行き)が作用し合って、数時間のうちに何度も忙しなく順位が上がったり下がったりするのです。


 思うに、この日はそれまで本書をウェブ予約してくれていた方々の数が一挙にカウントされて、売れ行きがぐんと上がったのではないかと思われます。


 というのも、その後、時間がたつにつれてランキングの順位は、徐々に下降を続け、数日後には95位まで後退したのですから。


 ところが10月4日になって、千葉県の地元紙「千葉日報」にインタビューしていただいた記事がアップされると、アマゾンのランキングは再び13位まで上昇しました。


 こうなるともう、ばかですね。


 数時間ごとに現在のランキングをチェックするようになって、競争と比較という鬼の呪縛に囚われてしまいました。


 そんな折に読んだのが、中村文則氏の新作『列』(講談社・1540円税込)でした。


〈あらゆるところに、ただ列が溢れているだけだ。何かの競争や比較から離れれば、今度はゆとりや心の平安の、競争や比較が始まることになる。私達はそうやって、互いを常に苦しめ続ける(本文より)〉


 どんぴしゃで、心を射抜かれました。


 天の声が言います。


 おまえなあ、本が出たんだから、それだけでよしとしてジタバタしなさんな。

 

 

 

 昔から中学・高校入試の国語問題には、四字熟語が頻繁に出題されてきました。


 受験生の多くは、ぎりぎりになって脳みそに詰め込むケースが多いようですが、付け焼刃の暗記は蒸発するのも早いようです。


 新聞記者時代に児童書作家となり、定年後は学習塾のバイト講師を数年間体験した著者は、もっと血となり肉となる学習方法はないものだろうか、と考えました。


 そこでひらめいたのが、一話を4、5分で読めるショートショート(創作短編)のラスト1行を四字熟語で終わらせたらどうだろう、というアイデアでした。


 本書をぱらぱらとめくってみると、例えば「孤立無援」という一話があります。


 もちろん児童書ですから、小学生に難解な漢字にはすべてルビが振ってあります。


 あらすじはネタバレになってしまうので控えますが、ラスト1行は〈男の子の顔がさっと青くなり、孤立無援の表情が浮かび上がった。〉で終わっています。


 それまでの興味深い展開と意外な結末に心揺さぶられれば、「孤立無援」の漢字も、読みも、意味も、すんなりと自然体で読者の脳みその一部になっていくでしょう。


 そんな四字熟語でラスト1行を締めくくった、すべて書き下ろしの「世にも奇妙な(と編集者さんは書いてくれました)」ショートショート全25話を収録しています。


 さらに、それぞれの物語で使った四字熟語と、その類義語、対義語、関連語を例文付きで、各物語の末尾に紹介しています。


 ということで本書には計100本の四字熟語が詰まっている計算になります。


 著者は、本書について「四字熟語のお堅い勉強本ではなく、あくまでも読んで愉しめる短編集です」と話しています。


 装丁・本文デザインは根本綾子さん、装画はシライシユウコさんの腕によりかけです。


 拙書『ラスト1行の四字熟語』きょう22日、PHP研究所より発売となりました。

 

 


 

 不思議な夢を見ました。


 空を飛んでいるのです。


 眼下には、地上の風景が広がって、少しずつ移動しています。


 飛行機に乗っているのではありません。


 飛んでいるのは自分自身なのですが、肉体の感触がどこにもないのです。


 風になった気分です。


 どこへ向かっているかというと、それが、だれかを探しているのです。


 ぼくの知らない人です。


 知らない人なのに、どうやって探せばいいかというと、見つけたときに、あ、この人だとわかるはずなのです。


 眼下に住宅街が迫ってきました。


 ぼくはその人を見つけて、急降下しているみたいです。


 その人の顔と姿がよく見えてきました。


 若い女の人です。


 もちろん、女の人でなければいけなかったことに、いま、気がつきました。


 名前は、知りません。


 彼女はいま、犬の散歩を終えて、家に帰ってきたところです。


 一戸建ての二階家で、茶色い屋根瓦が日を浴びて輝いています。


 犬を、庭にある犬小屋に戻した彼女は、玄関のドアをあけて、家の中に入ります。


 すでに地上に降り立ったぼくは、彼女の後を追いかけていきます。


 ドアが閉まっているのに、ぼくはもう、家の中に入っています。


 彼女は、そんなぼくの存在にまるで気がついていないようです。


 だれもいない居間にいった彼女は、大きなソファによっこらしょ、と座ります。


 視界が優しく暗くなって、揺らぎました。


 ぼくはどっぷりとした幸せに浸かります。


 譬えようもなく満ち足りた気分です。


 そこで、目が醒めたのです。

 

※本書の予定日は9月22日です。

 不思議な夢を見ました。


 コッペパンみたいな形をしたUFOが、目の前にある広場に落ちてきます。


 大きな音がして、落ちたUFOからは、赤い炎と黒い煙が上がっています。


 これは着陸ではなくて墜落にちがいないと考えたぼくは、現場に走っていきます。


 地べたとの衝突で完全にひしゃげてしまったUFOの正体は宇宙船のようで、大きく割れた窓らしいところから、怪しい形状をした生物が、飛び出してきます。


 どんな形状かというと、異様に大きな頭を持っていて、手足は二本ずつあるのですが、その細長さが尋常ではありません。


 しかも、鎧のような服をまとっています。


 宇宙人、すなわちET(エクストラ・テレストリアル=地球外生命体)です。


 ぼくは近づいていって、声をかけます。


 大丈夫ですか?


 ヤバイコトニナッチマッタ。


 はっきりと、そう言ったのです。


 ぼくは、そいつがいま、何をしたいのかきくと、こんな答えが返ってきます。


 ジカンヲモドシテ、コノジコノ、オオモトヲ、タトウトオモウノダガ、イマ、ナンジ?


 ぼくはスマホを手に、時刻を教えます。


 夕方の七時ちょうどです。


 デハ、コノワクセイノ、ゼンタイヲ、イマカラジュウニジカンマエニ、モドシチャエ。


 異様な音が鳴り響いたかと思うと、景色が一変します。


 朝の七時の目覚まし時計が鳴っています。


 変な夢を見ちゃったな……。


 ぼくは寝床から起き上がります。


 いつもと変わらない朝なのに、どこかで一度味わったような感触が、一つひとつの動作や視界にまとわりついてきます。


 デジャヴかよ。


 なら、ぼくにもやり直したいことがある。


 そこで、目が醒めたのです。

 

 

 不思議な夢を見ました。


 何を目的にしているのかよくわからないのですが、ぼくは列に並んでいます。


 辺りには、並んでいるととてもよいものを手に入れることができる、という緊張を伴った雰囲気が漂っています。


 それは先着順であって、あまり後ろのほうに並ぶと、その何かを手にするチャンスを失うことになるかもしれません。


 でも、いまのところは前から十数人目なので、余裕の順番待ちに思えます。


 一人、また一人と徐々に、ぼくの後ろにも列ができていきます。


 いきなり横合いから、ぼくの前に男性が一人割り込んできました。


 顔に見覚えはないのですが、この人はぼくの知り合いにちがいないという奇妙な感覚を覚えます。


 その証拠に、男性はぼくを見て、うれしそうに笑いながらうなずいてみせます。


 後ろに並んでいる人が、ぼくの背中をとんとん、とたたきました。


 振り返ると、言われました。


 あなたのお知り合いかもしれませんが、わたしにとっては順番が一つ後ろになったので、困りますね。


 その通りなので、ぼくは列を離れて、十人ほどを行き過ぎて最後尾へ移動します。


 しばらくたつと、知らない顔の女性が、ぼくの前に割り込んできて、言いました。


 ありがとう、助かったわ。


 その女性は、どうやらぼくの知り合いのような気がしてきます。


 後ろの人が背中を小突いて、言います。


 おれの順番が一人分、長くなったぞ。


 ぼくは列を離れて、最後尾に移ります。


 そのとき、鋭い笛の音とともに、命令口調の大きな声が天に響きます。


 全員、まわれ右!


 そこで、目が醒めたのです。

 

 


 

 不思議な夢を見ました。


 家の中に小さなバッタが飛び込んできて、ぼくに言うのです。


 さっき昼寝をしていたら、クモのやつにおなかを食われちまいました。


 それはたいへん、動けますか?


 ぼくが訊くと、バッタは長い触角を左右に力なく振って、むりかも、と答えます。


 では、どうしましょう?


 水を少々と、クモのやつに襲われない場所への避難ができたら、うれしいです。


 わかりました。


 ぼくは両手でバッタをつぶさないようにそっとすくい上げると、洗面所で水道水を少しだけ、全身にかけてやります。


 それから、戸外に出て、クモが追いかけてこないと思われる樹木の葉の上に、その体を静かに移します。


 ありがとう、お世話になりました。


 どういたしまして。


 家に戻ると、玄関近くの廊下にあやしげなクモがいて、ぼくに言います。


 わしの獲物をどこかへやりましたか?


 ぼくは言い返します。


 あなたに再び襲われないように、安全な場所に避難させました。


 クモはがっかりしたような声で続けます。


 おまえさんは、わしが家の中でハエやカやダニやゴキを食ってみせると喜ぶのに、あのバッタを食うのは許せないのですか?


 そういう訳ではありませんが、ハエやカやダニやゴキに比べると、バッタはぼくたちに大した悪さをしませんからね。


 そういうのをジコチューといいます。


 すみません。


 謝ってもらったって、しょうがない。


 では、どうしましょう?


 そんなやつらがたくさんいるところに、一つ案内してくれませんか。


 そこで、目が醒めたのです。

 

 

 不思議な夢を見ました。


 大きな荷物をいくつも抱えて、石段を上がっていくおばあさんがいます。


 後ろについているぼくは、助けてやらないといけないと思って、足を速めます。


 おばあさんが持っている、いちばん重そうなバッグに手を伸ばして、声をかけます。


 上までお持ちしましょう。


 おばあさんは笑って、ありがとう、と応じて、ぼくにバッグを託します。


 そのとたん、バッグの左右に羽が生えて大きな白鳥になると、ぼくとおばあさんを背中に乗せて、石段を飛び立ちます。


 すごいですね。


 ぼくが言うと、おばあさんだった人はいつのまにか、若い娘に姿を変えています。


 浅間を見にいかない?


 そう言った彼女の顔をよく見ると、学生時代に短い間でしたがお付き合いをしていたE嬢ではないですか。


 その夏、ぼくはE嬢に誘われて、彼女が過ごしている北軽井沢の別荘に、泊りがけで遊びにいきました。


 朝、広々とした草原に寝転んで、ぼくたちは、空に浮かぶひつじ雲を眺めました。


 その別荘で、ぼくは24歳の誕生日を、翌日にはE嬢が19歳の誕生日を迎えました。


 翌月、E嬢は年を取るのをやめました。


 ずいぶん久しぶりですね。


 ぼくが言うと、E嬢は首をかしげます。


 気がつかなかったの?


 何に。


 あれからわたしは桜文鳥になったの。


 桜文鳥って言うと……。


 娘が小学生だったころに、わが家で飼っていた小鳥は、手乗りの桜文鳥でした。


 あなたのお家に、ずっといたのよ。


 気がつきませんでした。


 バッグを持ってくれて、ありがとう。


 そこで、目が醒めたのです。

 

 

 不思議な夢を見ました。


 ぼくはひとりで、日がとっぷりと暮れた寂しい道を歩いています。


 前方の暗がりに、ぽわっと小さな炎が見えたと思ったら、ゆらゆらと揺れています。


 人魂かもしれない、と思うのですが、少しも怖くありません。


 それどころか、こんなに寂しい夜道だから人魂もひとつじゃ淋しいに違いないとさえ思い、同情の気持ちがわいてきます。


 近づいていくと、人魂はたちまち透きとおった人の形に変化します。


 何だ、幽霊になったか、と思います。


 幽霊は、だいぶ年配の男です。


 こんばんは。


 ぼくが声をかけると、男は、元気でやっているかな? と訊いてきます。


 その声音で気がつきます。


 男の正体は、この世を去ってすでに三十年以上がたっている亡父でした。


 まだ成仏していないのですか?


 ぼくが訊くと、亡父は首を左右に振って、ちがうんだよ、と答えます。


 わたしはあの世へ行ってから、とっくに成仏して、大霊の一部となったんだ。


 それはよかったですね。


 亡父は微かにうなずいてから、続けます。


 いまは再び選別を受けて、地上に降りるための準備をしているところだが、その前に、いずれきみがあの世へ行く日がくるはずだ。


 ぼくは肩をすくめて、訊きました。


 それはいつの日になるのでしょうか?


 いずれ、としか言えないが、その日は確実にくるから、楽しみに待っていなさい。


 それほど楽しみにはなれないなあ、と答えると、亡父はうれしそうに言いました。


 わたしはきみのためにあの世への案内人になってやるが、それがいつになるかなんて、気にしても仕方がないから、気にするな。


 そこで、目が醒めたのです。

 

 

 不思議な夢を見ました。


 曇天の下で、待ち合わせの時間が迫っているのに、ぼくは道に迷っています。


 めざした駅で電車を降りて、まっすぐ歩いてきたのに、目的の場所が見つかりません。


 駅には西口と東口があって、ぼくは確かに予め指示された東口から外に出て、この道を歩いてきたはずです。


 でも、駅で西と東をまちがえたのかもしれないぞと、不安がよぎります。


 ちょうど前からやってきた人がいたので、呼び止めてききました。


 ここは西と東、どちらの道でしょうか?


 するとその人は、わたしにはわかりませんが、一つだけわかるのは、もうすぐ激しい雨が降ってきて、傘を持っていない人たちはずぶ濡れになるってことです、と答えます。


 ぼくは近くの商店にとび込んで、傘を一本購入しながら、店の人に尋ねます。


 ここは西と東、どちらの道でしょうか?


 店の人は、ここは南の道ですが、東の道に行くには、この先の十字路を左折して、さらにいった先の道をまた左折して、すぐに右折すればよろしい、と教えてくれます。


 それから、いますぐ行くと、途中で雷に撃たれる恐れがあるので、この店で五分待ってから行きなさい、と忠告してくれます。


 五分も待っていたら約束の時間を過ぎてしまいますが、雷には撃たれたくないので、店主の忠告を守ることにします。


 すぐに激しい雨が降り出して、おまけに雷が活発に鳴り出します。


 五分もたつと雷は遠ざかり、雨も弱くなってきたので、ぼくは店を出ます。


 傘をさしながら教えられたとおりに道を急いでいると、向こうからやはり傘をさしてこちらに向かってくる人影があります。


 それは、遅れているぼくを迎えにきてくれた、待ち合わせの相手だとわかります。


 そこで、目が醒めたのです。