あれから37年 | たからしげるブログ

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つれづれ思うことどもを不定期で発信しています。

 3月14日、妻とともに千葉市内の公園墓地にある長女の墓へいってきました。


 1987年のこの日、娘は2歳と約11カ月の人生を閉じています。


 その前夜、風邪をこじらせて高熱を発し、お腹も壊していた娘を、自宅から車で20分ほどの距離にある総合病院の夜間診療室に連れていきました。


 宿直の若い医師は、熱を下げれば大丈夫といって、お尻から入れる解熱剤を処方してくれました。


 このとき娘は、上からも下からも多量の水分を放出していて、脱水症状を呈していたのだと思います。


 熱を下げれば大丈夫、という医師の言葉に安心してしまったぼくたちは、なぜ娘の脱水過多の危険性をもっと強く訴えなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。


 夜中は、解熱剤の効果もなく高熱と喉の渇きと吐瀉に苦しみ、ときに奇声を発して泣き叫ぶ娘の看病で、一睡もできませんでした。


 翌朝いちばんで、いつもお世話になっている小児科へ駆け込みました。


 医師はその場で点滴をしようといってくれたのですが、器具が使用中だったのか、壊れていたのかよくわかりません。


 救急車を呼んだほうがいい、といいだしたので、それならいますぐ自分の車で運びますと答え、医師には、昨夜訪れた総合病院の小児科に電話連絡を取ってもらいました。


 赤信号を二回無視して、病院の救急口に車を止めたら、担当の医師がそこで待っていてくれて、すでに昏睡状態の娘を抱き取り、救急救命室に連れていきました。


 でも、間に合わなかったのです。


 墓には、妻が入信している(た?)カトリックに合わせて、十字架が刻まれています。


 いまは亡き小鳥の、ちゅんちゅく、と、ちゅんぎーも、一緒に眠っています。


 ずっと後になってから、由宇、という名前で本になりました。