ぼくが児童書に拘る理由 | たからしげるブログ

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 人間、喜寿を越えてしまうと、ある意味達観した人生が送れるのかもしれないと考えていたのは軽率でした。


 とんでもありません。


 高齢に達することは、ひたすら肉体が衰えるだけで、純然たる精神への影響は皆無と言ってもいいでしょう。


 確かに時が過ぎれば過ぎるほど、この世に生を受けた肉体は摩耗が著しくなってきて、そこかしこに不具合が生じてきます。


 しかし、肉体に宿っている魂は、おしゃべり人形に埋め込まれた乾電池の電力が弱まっていくように、日々衰退していくわけではありません。


 よく、記憶力が減退するとか、頭の回転が弱まるとかいいますが、それは魂ではなくて肉体の老化が原因です。


 これを、脳細胞の老朽化、または退化と呼んでもいいかもしれません。


 ぼくはそうした分野の専門家ではありませんが、実感として捉えられるのです。


 長年スポーツなどで体を鍛えてきた人が、しばらく試合や練習と遠ざかり、筋肉の鍛錬をスルーしていると、あるきっかけでいきなり体を動かそうとしても、思い通りにはなかなかいかないものです。


 ここで言う「思い」がすなわち、精神であり、つまりは魂そのものなのです。


 運転手がいくら意固地になっても、ポンコツ車は、新車だったころに比べるとまるでスムースに走らないのと同じです。


 でも、その運転手の運転技術に問題があるわけではありません。


 ところで、人間は肉体と魂によって生きているという構造そのものは、科学的に証明されているのでしょうか。


 太古から、そうは言われてきていますが。


 たとえ肉体が衰えても、魂の輝きは普遍であることを噛みしめたくて、ぼくは児童書の執筆に拘っているのかもしれません。