先日、久しぶりに東京駅八重洲口界隈を訪れて、約40年ぶりに再会した旧友数人と楽しく充実した時間を過ごしました。
街は生きていて日々生まれ変わっていて、この日の大都会も、各所に真新しい高層ビルが建ち並び、あちらこちらでクレーンが動きまわっている印象でした。
帰りの電車内では、こんなことを考えていました。
街が生まれ変わるのは、そこに暮らしている人たちが、絶えず変化を続けているからでしょう。
いま生きている人たちも、いずれは年老いて故人となり、その人たちの子や孫の世代が街にあふれることになります。
古いものが消えて、新しいものが生まれてくるのは、だれも逆らうことのできない自然の摂理ですね。
タイムマシンのようなものに乗って、百年先の未来から現代にやってきた人がいるとしたら、どんな気持ちになるのでしょうか。
不測の事故によって、奇しくもこの現代に降り立ってしまった若者を想像しました。
現代に生きるぼくたちが「最新」と思っているものはどれも、取るに足らない古めかしいものと映るのでしょうか。
建設作業が中途の状態にあるビルの工事現場を見て、どう思うでしょうか?
百年後、そのビルは建っていた使命を終えて、すでに取り壊されて、その上にまた新しいビルが建っているかもしれません。
いま生きて暮らしているほとんどの人たちの姿は、どこにもありません。
そんな未来からやってきた若者は、自分が関わったことのない、若かりし日の祖父母やそのまた両親や、彼らの友人知人らと会ったら、どんな会話を交わすのでしょうか?
若者同士、新しいつきあいを始めることができるかもしれません。
年の差なんて、つけようがないのですから。