クオリアという言葉があります。
本来は脳科学で使う用語で、ぼくたち個人が意識的に主観的に、ものを感じたり経験したりする「質」のことを指すそうです。
たとえば、窓の外から聴こえてくるのはピアノの音だとか、彼女がくちびるに塗っているリップの色はピンクだとか、海辺に吹く風は潮の香りがするとか、このお菓子はバターの味が濃いとか、紙で切った傷が痛いとか、すべては五感にまつわるクオリアです。
つまり、五感で対峙している風景や音や匂いや味や肌触りなどにかかわるあらゆる事象を、これは何、それは何、あれは何、といったふうに一つひとつ認識できるのは、クオリアの成せる業なのですね。
ところがこのクオリア、科学的な正体はよくわかっていないようなのです。
人が五感で感じたものは、脳内で電気的信号に変えられて意識を形成するわけですが、クオリアはいったいそうした電気的信号の流れの中のどこで、前述したような「ピアノの音」「リップのピンク」「海辺に吹く潮の匂い」「お菓子のバター味」「切り傷の痛さ」などの「質」を感じ取るのでしょうか?
AI技術が発展していくと、ロボットはますます精巧な作りになって、やがて人間と変わらない感情も表現できるかもしれません。
しかし、いくら人間そっくりのロボットができても、そこにクオリアがなければ、ロボットは「哲学的ゾンビ」と呼ばれて、感情を意識として自らのものにはできません。
じつをいうと、クオリアは肉体ではなく魂と連結しているのではないでしょうか。
もちろん、ぼくはその世界の専門家ではありませんから、科学的な論証はできません。
作家としての空想で話しているだけです。
そこで勝手な推論ですが、人の意識は脳ではなくて魂に宿っているのではないか?
その魂は肉体ではなく、異次元に存在するという考えも、次のブログで紹介しますね。